「どうして学校に行くの?」
「なぜ学校に行かないといけないの?」
などの質問を生徒や学生に投げかけてみました。
待ってました!!という顔や
ハッ!!👀とした顔で
ニヤッとしてみんな答えを出してきます(⌒▽⌒)
多分、それを周りの大人に聞いたことがあるのかもしれないし、
大人や先生に聞くことはタブーだと思い込んでいる子どももいるでしょう。
そして、その答の多くは
「勉強をするため」というのです(⌒▽⌒)!!
勉強は何のためにするの?
それに対して、私は
「勉強は何のためにするの?」と問います。
そこからはあまり答えがないケースが多いです(笑)
中学生以上になってくると
「そうなのよね〜〜。勉強って必要??」とか
「私もそういう疑問あるのよね〜」と
話ししてくれます!!
そのような反応は素直な生徒たちで、、、好きです♫
そこで私の見解を話ししていきます。
「勉強をするのは自由になるためなのよ。
これは私が感じて、思っていることなので、正解かどうかはわからない。
そもそも正解があるかどうかもわからない。」
とお話ししていきます。
知識があり、いろんな思考力があり、論理的物事を表す体験がある
などにより自分の才能は磨かれるので、
自分がやりたいことをよりできるようになります。
より創造的になりやすいのではないかと思います。
また、教科や分野によっては、大人になった時使わないこともあります(笑)
その知識は使わないにしろ、自分にとっては苦手なものに挑んだ
大変なものに挑んだ、との体験は残ります。
その体験こそ、嫌なものに立ち向かう気力や思考力や自律力を
学ばせてくれるのです。
そのプロセスそのものがとても大事なのだと思います。
また、学校に行くことで、仲間との協力、対立、話し合い、摩擦や駆け引き、
助け合い、自制心などを体験します。同年代や子ども同士だからの体験なのです!!
それが自分の成長への宝になります❤️
全てに意味があり、全てが自分の成長につながるのです。
人間力につながってきます。
自由は不自由から生まれ、不自由は自由から生まれる!!
「学校に行くのは不自由ですよね〜。
だって、朝早く起きなくてはならないし、同じ行動をしなくてはならないし、
勉強をして、宿題をしなくてはならないなど不自由なことを感じるでしょう?」
と話すと生徒からいっぱい頷きがきます(爆笑)
そして、その不自由からいずれは自分に自由が訪れるのです。
自分の好きな仕事につく可能性が高まり、自分の努力次第で好きな生活もできます。
それは自分の才能の開花による結果になるのでしょう。
ですから、自由は不自由からくるのです。
逆に、とても自由にしていて、自分の好きな時間に起きる、
勉強や努力をしない、学校やコミュニティに行かないとなると
自分の才能が開花できにくく、
不自由な生活になる可能性があります。
不自由は自由からくるのです。
日本には義務教育との制度があるおかげで、みんなは学校に行けるのです!
素晴らしいと思います❤️
ある意味、みんな自由になれるベースはあるのですね。
当たり前なものは何もない!!
「マララさんは自分のことばで
「学校へ行きたい。
女の子も学校へ行って
勉強をする権利があるんだ」
と言ったために、
武装グループに打たれてしまった。」
「ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。石井光太著
ポプラ社」
上の文はこの本に書かれているのを抜粋したものです。
そして、この本にも紹介しているように世界ではまだ多くの子どもたちが
学校へ行けていません。
字も書きたいし、本も読みたいが学校へ行って、学ぶチャンスさえ与えられないのです!
私たちが幼稚園生とか保育園児だった頃は
早く本を読みたい、字を書きたいと願っていたのではないかと感じます。
そのような願いをどの子どもも持ちます。
それが叶えられない子どもが世界にはいます!
それを思うと、学校へ行っている、行けているのは当たり前ではないのです。
私たちの生活も当たり前のものは何もないのでしょう。
当たり前は何もないとの前提に立つと、
生活そのものの有り難みも出ますね。
ありがたいとの気持ちが人との関わりやコミュニケーションを
より良くするスパイスになります❤️
自分にも、周りにも、環境にも、愛を傾けていきたい❤️
いや、いきます!!!(⌒▽⌒)
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